映倫の概要
映倫の歴史と自主規制活動
1945年、終戦と同時に日本を占領した連合軍の最高司令部 (GHQ) は、当初映画の公開について検閲を行ってきましたが、やがて、ほかのマスコミに対するのと同様に、映画界に対しても自主的な審査機関の設置を示唆してきました。
これを受け、映画界は 1949年「映画倫理規程」を制定し、この実施・管理のため「映画倫理規程管理委員会」を発足させました。これがいわゆる旧映倫と呼ばれる機関です。
ところが、新しくできたこの機関は、業界内に設けられたものであり、また管理委員は業界内の映画関係者だけから選ばれていたこともあって、1956年に公開された「太陽の季節」をはじめとする、いわゆる一連の「太陽族映画」に対しては、その審査のありかたについて新聞各紙の批判するところとなり、ついには文部省(現・文部科学省)が規制のための法案を準備するまでに至ってしまいました。
これを苦慮した映画界は、映倫委員を外部の有識者に委嘱し、映倫の運営を映画界から切り離すなどの組織変更を行い、同年12月、新たに「映倫管理委員会」を発足させました。ここに、映画界以外の第三者によって運営される自主規制機関としての映倫が誕生したわけです。
現在の審査の実務は、委員長を含む5名の映倫委員のもとに、映画界の各分野からの出身者8名の審査員によって、年間約800本以上の長編映画をはじめとする劇場用映画・予告篇・ポスターなどの審査を行っております。そして、その運営の費用のすべては、これらの映画の審査料によってまかなわれており、外部からの補助は一切うけておりません。
作品の審査に当たっては常に謙虚な態度でのぞみ、表現の自由を最大限に尊重しつつ、映画が健全な娯楽として大衆に親しまれ、社会の倫理水準を低下させることのないよう、十分な配慮を行っております。また、申請者が審査結果に異義のある場合、映倫委員による再審査委員会を設置して再審査を行なう制度も実施しています。
特に青少年に対しては、映画の与える影響を重視して、作品を主題・題材とその表現の仕方に応じ、年齢別に4段階に区分し、作品によっては青少年の劇場への入場を制限したり、保護者の助言・指導をうながすなどの措置を講じております。また、映倫委員長の諮問機関である「次世代への映画推薦委員会」は、次世代に向けた優れた映画を選んで、これを積極的に推薦する。ここで次世代とは新しい未来を生み出す者、主に未成年者と若者をいう。一方、映画と次世代に関する諸問題について委員の諮問にこたえ、必要な助言をあたえる役目を負っています。
なお、映倫創立50年を経た2009年に、内外の環境や人々の意識の変化に対応するため、名称を「映画倫理委員会」と改め、さらに2017年4月、事業の安定的かつ恒常的な運営を確保するため、新たに「一般財団法人 映画倫理機構」として生まれ変わりました。
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